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マチュ・ピチュ [海外生活]

どうしても行ってみたい世界遺産、それがマチュ・ピチュ。



なんで行きたいんだろう?

なんとも言えないあの景観。

あれをどうしても自分の目で見たい!!




マチュ・ピチュとは?

アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った

山の尾根(標高2,430m)にある、15世紀のインカ帝国の遺跡である。



山裾からは遺跡の存在は確認できないことから、

しばしば「空中都市」「空中の楼閣」「インカの失われた都市」などと雅称される。

一方、遺跡の背後に見える尖った山はワイナ・ピチュ (若い峰)で、標高2720m。

山頂には神官の住居跡とみられる遺跡があり、

山腹にはマチュ・ピチュの太陽の神殿に対する月の神殿が存在する。




調べれば調べるほど行ってみたい!!

きっと、前世のどこかで縁があったに違いないっ!!



どうやってでもマチュ・ピチュには行ってみたい私。

ところでどうやって行くか調べたことなかったな・・・



行き方は?


マチュピチュには空港がなく、

一般的にはリマ→クスコ→アグアスカリエンテ→マチュピチュと移動します。

クスコを朝早く出発し、マチュピチュを見てクスコへ日帰りもできますが、

1泊して翌日早朝から丸一日遺跡を見るのがお勧めです。


鉄道はクスコからポロイ駅までバスで行き、

ポロイ駅からマチュピチュへ(所要時間約4時間)。

鉄道は3ランクに分かれていてます。




入場料?

マチュピチュ入場料:126Soles(ソーレス / 約45ドル)

バスとセットで購入の場合:70ドル(手数料込)

1日の入場制限人数:2000人(インカトレイルの1日制限人数400人も含む)



入場に必要な情報?

氏名 / IDカード(パスポート、学生証明書、国際的に使われるIDカードなど) /

   パスポート番号または確認書類番号 / 国籍 / 性別 / 年齢 / 職業(一般または学生)



受付期間・予約手順?

受付期間:

入場券の発券のため到着の15日前までの受付。


予約手順:

1.オンラインによる予約

2.支払い番号の発行

3.国立銀行またはINCオフィスでの支払い

4.入場券の発券

この新しいシステムでは、電子チケットに入場者の全ての情報が入力されます。

また、 マチュピチュへの入場の際にIDカードの確認があります。

入場券は弊社にて発券いたしますので、お気軽にご連絡お願いいたします。




当たり前だけど、マチュ・ピチュに行くのもお金が結構かかるのね 苦笑

まぁ、あれだけの遺跡を維持して保管していくんだから当然といえば当然だけど。

でも、それでもやっぱり行きたい!!




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初☆海外旅行 [海外生活]

初めて海外旅行に行ったのは、20歳すぎだった。



女3人でニューカレドニアに行った。

ニューカレドニアは日本から直行便が出ていて約8時間半のフライト。

飛行機では半分は寝て、半分は起きてた。



ホテルは友達の強い希望で上位に入るホテルを選択した。

全室オーシャンビュー。

これはケチらないで正解だった。



ニューカレドニアは「天国に一番近い島」って言われてる

たしかにキレイなところだった。

フランス領で物価は高めだけど、南国らしさとフランスらしさが

うまく混ざり合っているというか。



治安もよくて、貴重品を放置しないことに気をつけさえすれば

基本的には特に意識もしなかった。

お陰で街中を徒歩で散策してヘトヘトになった。



現地の人はみんなフレンドリーで優しかった。

フランス人は英語でしゃべってくれないなんて書いてあったけど、

私たちが出会ったフランス人はみんな優しくて英語で話してくれた。



私たちはシュノーケリングに行った。

初めてだったから日本人ガイドがいるツアーを選択した。

船で沖に出てシュノーケリング

日本人ガイドが一人とあとはみんなフランス人だった。

当時、ちょっと奇抜な髪形をしていたためフランス人に

「その髪形は日本で流行ってるのか?」なんて聞かれて苦笑いした。



食事は基本的に美味しかったけど、友達が食べたがって食べた

ベトナム料理店で食べたフォーは懐かしい味にほっとした。



旅行中は観光してるか食べてるか・・・といった感じだったので

一度、もう本当にお腹が破裂しそう!ってくらい満腹になってしまった。

あんなに苦しかったのは、後にも先にも一度だけ 笑

どんだけ食べてたんだろう、私。



ニューカレドニアは素敵なところだった。

のんびりしていて、フランス人がバカンスに来るのも納得。

観光ではなく、のんびりするために今度は行ってみたい。



何するわけでもなく、青い空を眺めてボーっとする・・・



今度はフランス語をもうちょっと勉強していこうっと 苦笑




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交換留学 [海外生活]

私が通っていた高校には夏休みに「交換留学」があった。


海外に姉妹校提携している学校があって、そこと1年おきに

「交換留学」という名で夏休みに海外生活を体験させるというもの。



私はもちろん参加させてもらった。

高校1年生の夏休みだった。

姉妹校は台湾にある。

期間は5日間。



渡航前日は参加者の3/4くらいが成田空港の近くのホテルに宿泊した。

このホテルには同じように翌朝成田から経つ旅行客がたくさん泊っていた。



その中に、オーストリアから来ていた少年たちの団体がいた。

同級生が「外人の男の子がたくさんいるよ!」と興奮気味に部屋に入ってきた

「写真撮ってもらおうよ!!なんて言えばいい??あ、先生に聞いてくる!」

同級生が興奮して部屋を出て行って、しばらくすると戻ってきた。



「先生に聞いてきた!ね、みんなで行こう??ね?ね!!」

そこは女子高生、外人の男の子がたくさんいると聞いて気にならないわけがない 笑



おそるおそる男の子たちのほうへ行き、一人が勇気を振り絞り「写真を一緒に撮ろう」と声をかけた

男の子たちはあっさりOKしてくれた。

そして、「じゃぁ、なかに入りなよ」と部屋に招いてくれた。



中に入ると5人くらいの男の子がいた。

お互いに興味津々で質問が飛び交った。

ここで、問題が起きた。

日本人サイドで英語が喋れる人が誰もいない!!

かろうじて喋れたのが皮肉にも私だった。



お陰で頭をフル回転させて簡単な英語をしゃべってもらって会話した。

彼らがオーストリアから来ていること、日本の文化を体験しに来たこと

これからオーストリアに帰ることいろいろな情報を得た。

そして、彼らは特に英語の勉強をしていないこともわかった。



なんで英語が喋れるのか聞いたら、ラジオやテレビで聞いてるからねっと言っていた。

そして、なんで日本人は日本語しか喋れないんだ?と逆に不思議がられた 苦笑



さらに衝撃的なことに彼らの大半が中学生だった  笑

彼らも私たちが年上であるということにとても驚いていた 



そんな思いがけない国際交流はあっという間に終わり

何人かは住所の交換をしていた。



台湾の旅は刺激的だった。

まず、ペットボトルのウーロン茶が甘いことに衝撃を受けた。


私たちは台湾の高校の寮に泊まらせてもらった。

食事は当時の私の口には合わなくて、食べるのに苦戦した。



ホテルではなく寮だったので生活様式も台湾仕様だった。

トイレにトイレットペーパーはない。

部屋からちり紙を必要な分だけもって行かなくてはいけなった。

お年頃の女子高生には抵抗があったけど、女子しかいないのが救いだった 笑



お風呂はシャワーだけだった。

実際にはタイル張りのシャワールーム(個室)に洗面器を乗せる台があって

そこにお湯を張って自分でかける、という仕組みだった 笑



部屋の廊下側の窓にはガラスの代わりに巨大なファンがついていて、

排気と吸気がスイッチ出来る仕組みになっていた。



一人に一人姉妹校の子がついてくれた。

市内を案内してくれたりした。

英語の出来ない私たちだってけど、台湾は漢字である程度伝わった。

日本語と意味の違う漢字もあったけど、その辺は渡航前に事前学習していたので

「この字は日本ではこんな意味でね」なんて話で盛り上げることもあった。



この5日間の生活では大きな収穫がたくさんあった。

喋れなくてもコミュニケーションはとれるってこと。

コミュニケーションをとろう!とする姿勢が大事だってこと。

そして、なによりしゃべれない私が一番英語を理解していたという衝撃 爆



台湾 生活体験5日間。



私の人生で貴重な体験になった。







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英会話スクール [海外生活]

高校生の頃、英会話スクールに通わせてもらった。



今思うと、あの頃家計はかなり苦しかったはずだ。

でも、私の必死の訴えに母は承諾してくれた。


スクールは地元の駅前にあった”英会話の○オス”


地元にあまり英会話スクールがなかったのと、スクール内の雰囲気が良かったのが

決めてになった。



最初は、英会話に自信がなさすぎたので、プライベートレッスンにしてもらった。

先生は日本人の女の先生。 私が女の先生がいいとお願いした。

男の人だと余計に話せなくなりそうだと考えたからだった。

ニュージーランドに留学していた先生で背が小さくて

でもパワフルでかわいらしい先生だった。

授業中は英語オンリーだけど、その前後の日本語でのおしゃべりの時間が

私には楽しかった。



半年くらいして、こんどは少人数のクラスに移った。

生徒はみんな女の人で、先生は外国人の男の先生だった。

”会話”を意識するクラスだった。


ここの先生はみんな優しかった。


スクールに入るといつも声を掛けてくれた。

生徒の中には何年も通っているような人もいて、

来る必要ないんじゃないの?と思うくらいペラペラな人もいた。



季節ごとに誰でも参加できるイベントがあってアットホームだった。



この英会話スクールには約2年通った。

さて、成果のほどは?



ハッキリ言うと、もう、ぜーーーーーーんぶ忘れました。



正直、通っていた当時も「しゃべれる」には程遠いレベルでした。

2年通ってもまったくしゃべれない。

通ってる最中も、通わなくなってからも

街で外国人がいると避けるように歩く習慣は変わらずでした・・・苦笑



こんなこと、口が裂けても 母には言えません。

「あなたの出費は無駄でした」 なんて・・・・汗



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海外に行きたい [海外生活]

海外に行きたい・・・・


そう思ったのはいつくらいだろう?

たしか中学生くらいだったと思う。


英語の授業は大嫌いだったけど、なんとなく

「海外に行きたい」って思ってた。


「学校の授業が出来なくてもしゃべれるようになれるもん!」

そんな風に思っていた思春期 笑



”ここではないどこか遠くの場所” に行きたかった。

”自分の事を知ってる人がいない場所” に行きたかった。



だったら海外じゃなくても国内でいいだろうって言われるかもしれないけど

漠然と「海外」が良かった。



なんでだろう?

おばちゃんがアメリカ人と結婚したのも影響してるかもしれない。



母によくおばちゃんに似ていると言われていたし、

おばちゃんがアメリカ人と結婚したから・・・と思っていた部分もあったかもしれない。



中学生の時、一度飛行機に乗っておばちゃんのうちにホームステイに行った。

といっても、国内だけど 笑



運良くというか、運悪くというかグランマ(おばちゃんの旦那さんの母親)が

来日していて、1週間一緒に生活させてもらった。



当時、おばちゃんの子供たち(いとこ)は、みんな小さくて一番下の子は1歳半だった。

その子は、くるくるっと綺麗にカールした髪の毛にまん丸の目をしていて

まるでお人形さんみたいな、アニメに出てきそうな顔の女の子だった。


すっごいかわいくて、私には ”同志” って感じだった 笑



上の子達は日本語で会話も出来たけど、英語のつたない私に付き合って

一緒に英語で遊んでくれた。



でも、おじちゃんやグランマと話すとき、私はいつも固まってしまった。

「ちゃんと話さなきゃ」 と妙なプレッシャーを感じていた。



そのせいか、ほとんどジェスチャーで通じてた。

肝心の”英語”はまったく通じなかった 笑



でも、グランマは優しくて、食事の時間になると

お皿やカップを指さしてを優しく「これな何?」ってなんども聞いてくれて

発音も丁寧に教えてくれた。



1週間はあっと言う間に過ぎて私は自宅に帰った。



実をいうと、この1週間で私は「海外に行きたい」 という思いに自信をなくした・・・笑


「会話が出来ないと、海外には行けない・・・涙」




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